
ことのはのかくうちには、
この世界にやってきて六ヶ月になろうかとしているひとが「校正者」として携わっていて、
翻訳したものや書いたものを朗読する口を、真剣極まりない澄んだ瞳で見つめていて、
かれまたはかのじょという未来そのものへと贈るに値するのかという確かさの揺らぐ箇所にさしかかると、
この瞳が揺れ、声が揺れる。
かれまたはかのじょは、
とりあえずは日本語と中国語と英語はあたりまえのものとして身につけて、
遠からず、
世界をじぶんの眼と脚とで味わいに、出てゆくことでしょう。
かれまたはかのじょの父という位置にある奇妙なおっさんのこしらえた、
さしあたりは机上の空論と詩の結晶とのつまったちいさな奇妙な本を、
リュックサックの片隅に放り込んで。
──わたしたちは、一冊の書物のことを考えているのです。
──いらんだろうけど、すこしはいいと思うから、ちいさい本だし、持っていってよ。